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2012.6 part3 高敞邑城(コチャンウプソン)

タクシーで辺山半島の南側に沿って移動し、高敞(コチャン)バスターミナルまで。

途中、南側の海は干潟が多く、仁川もそうだし、前に行った新安郡の曽島증도(プルン島)も

そうだけど、韓国の西海岸の沿岸は干潟が多いのだろうか?半島を抜けて高敞郡に

入ると、周りの土地が赤い!ここって、赤土の採掘場か何か?と崖の断面を見て最初は

思ったんだけど、周り中が赤い・・・えぇ~っ!という赤さだ。運転手さんに尋ねると・・・

高敞の特徴的な土地ですって・・・農業になんたらって言ってて、向いているのかと思ったが

帰国して調べてみると、赤土は不向きで、黒土に変えるのに何年もかかるという記事が

あった。走っていると、今度は禅雲寺への標識があった。時間があればちょっと寄りたい

場所だが、行くと時間がたくさんかかりそうな場所なので今回はパス。『チャングム』で

チャングムとミン・ジョンホが愛を確かめた茶畑や、母のお墓(龍門窟)、チェ尚宮の

最後のシーンとかを撮った山もあるそうだが、高敞で一番有名な支石墓群と共に、

いつか行けたら行こう^^;バスターミナルの傍でお世話になったタクシーを降りた。

まずは、次にいこうと思っている潭陽に直通があればいいな・・・と思い、調べた限りでは

光州へ一旦行き乗り換えだったので、窓口で確認。やはり、光州へ出ないとダメだった。

光州行きのバスを確認したら、少し変更があり、15:05に乗ることにして、ロッカーを探した

けど、そんなのないし、ターミナルでは荷物の保管はできませんとあっさり断られ・・・

で、苦肉の策で、食堂でご飯を食べ、頼んでみようと・・・ターミナル傍の食堂へ。

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もう1時もとっくに過ぎ、お腹も空いていて・・・さっぱりしてそうなムル冷麺を注文^^

氷がたくさん入っていて生き返った気がした。荷物も預かってくださり、高敞邑城まで

歩いても15分かからないくらいだけど、時間がないのでタクシーで行こうと・・・

お店の前に停っていたタクシーは、食堂のご主人のものだった^^;奥さんが食堂、

旦那様がタクシー^^停車してたからモアッと暑かったけど、そこはご愛嬌で^^;

食堂からスタートしたので、そこからの道順を覚えながら到着。簡単な道順だった。

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高敞文化の殿堂の前でタクシーを降りると、殿堂の右手奥に邑城の城壁が見えた。

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左に文化の殿堂のホール、進んで右手には高敞パンソリ博物館。施設の多い場所だ。

右手にある観光案内所で地図を貰おうと、立ち寄ってみたら・・・日本人スタッフの方が

いらして、私のキャプチャーをご覧になり、案内してくださると・・・韓国人のスタッフの

方とここはどこだ、あそこじゃない?・・・と意見の相違もあったようだけど^^;

サンダルを履いて日傘をさした日本の女性が先に立って案内してくださった^^

『チュノ』に関しては彼女も楽しくご覧になられたようだ^^

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こちらから入る。入口の上の楼閣は北門。彼女の説明では、この邑城も順天にあった

楽安邑城と同様に倭寇に対して備えたものだけど、南側には敵に攻撃されないように

門を作らなかったそうだ。特徴としては、中に民家がないことで、楽安とは正反対だ。

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城壁の外側を歩く道もあり、夜にはライトアップもされてるようだ。

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こちらの北門の下を通って入城。

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北門のすぐそばにある獄舎。その脇の道を登っていくことに・・・

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城内には松林。右下に官庁とかの建物を見ながら・・・

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外側には現代の高敞の街並み。写した場所というか私達は城壁の上を歩いている。

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目的のひとつ、東門へ到着♪

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あまり近づかない方が形がわかってよさそうだ。

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有名な『ファンジニ』の舞台だ。他の人の前で踊って欲しくないグンちゃん・・・

あ、グンちゃんじゃないか?爆)それにしてもまだ初々しくて可愛いねぇ^^

この頃のグンちゃんの方が好きだなぁ・・・と、私の気持ちはどうでもよくて^^;;;

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東門の楼閣の名前は登陽楼なのね^^東だから登る朝陽が綺麗に見えるのね^^

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登陽楼の中から城内の松林を。窓が額縁になって素敵な風景。前に『一泊二日』で

滅多にTV放送に登場しない景福宮の慶会楼が紹介されてて、その時に見事な絵の

話が出て、どこにその絵があるか?の問いに、窓の縁取りが額縁の代わりをして

その先に見える景色が、その見事な絵だというのが正解だった。ここも綺麗だぁ!

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楼閣を出てさらに城壁を登る。サンダル履きの彼女、スタスタと歩いててすごい^^

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東の突端東雉まで登ると、ここからの全景が撮れますと・・・確かに綺麗^^

ここで取れる時間を告げてあったので、西門へ向かうのに、ショートカットする必要が

あり、おそらく東南雉だと思うけど、そこから城壁を降りて中を突っ切ることになった。

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降りていったら・・・建物が。。。これって、これって!

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<狩り>の開始の合図のホラ貝を吹くシーンと同じ場所よね^^この場所の記事を

あげるために『王の男』のここの撮影シーンをキャプってたら、なんとなんと!

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ってことは、下に見えている出発場所は・・・

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ここってことで、『推奴』11話でも出てきた・・・客舎「牟陽(モヤン)乃館」

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このお役所を襲って馬を盗むシーンと同じ場所だったんだ!さっき知った^^;

元々、この牟陽乃館は全羅北道に赴任するとここに挨拶に来たそうで由緒ある建物。

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『推奴』では、テギルとソラが一旦通り過ぎて・・・

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その先のこの辺で、将軍達とバッタリ出会い、謎の言葉を解読して客舎に戻り馬を奪う。

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戦い終わって馬を盗んだ後になって到着する二人。何でそんなに時間かかったん?笑)

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で、問題になったのは、将軍達にバッタリ出会う前、ソラと歩いているこの城壁近くの道。

最初の出会いだのなんだのって、途中に思い出話が入るんだけど、話としては連続して

いるはずだから、これもここだろうとキャプして行ったんだけど、韓国のスタッフさんは

どこどこだと妙に自信ありげで、日本のスタッフさんは違うんじゃないかと・・・結局、

考えてみたら、ここの邑城の城壁は全部上を歩けるのに、この城壁は無理そうだから、

シーンは続いていても、別の場所で撮ったんだろうという結論に^^;

先ほどの4人の出会いシーンの場所の先は・・・

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孟宗竹の林へ。この場所は、『王の男』で出てくるとだけ知ってて、さっきキャプしたら・・・

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コンギルに嵌ってしまった狂気の王燕山君が、喪中にも拘らず宴を催したいと言い出し、

それに反対する重臣達は、それなら代案として狩りをなされたらと・・・しかも、旅芸人達を

追いかけて狩りをする設定で。何も知らない王は喜んで同意。しかし、途中から動物の

面をつけて逃げ回る芸人達を本物の矢が襲い始め・・・逃げるコンギル。逃げ惑う場所は

この邑城内の林で、コンギルが追い詰められたのがここ、孟宗竹の林だった。。。

韓屋の屋根の上で高みの見物をしていたチャンセンが異変に気づき、危機一髪で助けるが

仲間の犠牲も・・・王を諭そうと、原因となるコンギルを殺そうとした家臣も・・・というシーン。

歴史的には、燕山君を退けて次の王になったのが、『チャングム』の王様、中宗^^

竹林だけじゃなく、ここら辺は全部登場してたのね^^一応、宮の裏山という話になってるけど。

で、全くの余談なんだけど、実は『王の男』はヒョギに話があった映画なんだよね・・・

でも急な入隊で話が流れ、撮れないかも・・・という危機的な状況の中、続いてイ・ボムスに

話が行き、結果的にカム・ウソンに決まり結果が大ヒット^^ボムスは逃した役の中で

このチャンセン役が最も惜しかったと言ってるらしいね^^;断った理由がヒョギとの義理の

せいだということだけど、義理って。。。ソルマ『ジャングルジュース』から?笑)

チャンセンがヒョギだったら・・・ジュンギ君とヒョギのツーショットでは、どちらも引き立たない

かも・・・失礼ながらカム・ウソンだからこそ、対比が際立ったような気もする。ボムスだったら

そこそこ同じような効果はあったかも・・・?ヒョギのそっち系もちょっと観てみたかった気も

するけどね^^;それで、さっきから溜まってきた『ラブレイン』を観ながらこれ書いてたら、

王様役のチョン・ジニョンが、ギター弾きながら・・・(グンちゃんとは映画『楽しき人生』でも

バンド組んでたけどね^^)

살랑살랑살랑 두근두근두근・・・사랑비가 내려오네요~なんて歌ってて、この教授ニム

ったら、会いたい=すっ飛んでいく。。。の公式で、ようやるわ・・・と娘と苦笑^^;

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太くて、真っ直ぐで、とっても綺麗な孟宗竹。案内の彼女の話では、皮がついているのは

今年たけのこ>竹になった若い竹で、色も他の竹に比べるとまだ薄いということだったけど、

今年生えた竹が、もうこんなに伸びちゃうなんて驚きだった。涼しそうな竹林だよね^^

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孟宗竹の林を過ぎて、西門へ。近くからだと上手く撮れないーー;

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『推奴』の7話で、ソラに馬の番をさせたまま、話している3人。tちゃんも言ってたけど、

聞慶の第2関門の城壁といい、ここといい、本当はめっちゃ高いのに、ヒョギは怖くは

なかったんだろうか?楼閣の中を通って反対側に行くと・・・

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ヒョギが座っていた側に出られる。角度違いで、もう一回こちらからの角度でも出てきたと

tちゃんが言っていたので、こちらからも^^季節が違うから、ここへは何度も来たのね・・

城壁を登っていけばもっと綺麗な画像が撮れたと思うけど、体力も時間もそろそろ限界

気味・・・時間的に、そろそろ北門(出口)に戻らないと・・・

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西門から北門へと向かう城壁。この城壁の下の道も数々のドラマで出てきた。

『イ・サン』では王様の行進、『ソドンヨ』では百済の聖明王が新羅に首を奪われ、首の

ない遺体を乗せた馬がこの道を通った。門も『ソドンヨ』の戦いのシーンで出てきたらしい。

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北門に向かって降りていく城壁。右側にあるのは昔の資料を保存してある図書館のような

建物だと説明して頂いた。

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この地域の引退されたお偉いさん方が集われるクラブのような場所だとか・・・

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城内から見た北門。

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外にあった女性たちの像。頭に石をのせている。彼女の説明では女性の頭に石をのせて

回ると数々のいいことがあるとの言い伝えがあったそうだ。調べてみると・・・

<頭に石を載せて一周すると病気が治り、二周すると長生きし、三周すると極楽昇天すると

古くから伝えられている。その中でも閏月の3月に回るのが最も良く、日は仏教で冥土の門が

開かれるという6の数字が入っている6日、16日、26日が最も良いとされている。頭に石を

載せて回るのは、冬と解氷期に離脱した城郭を踏むことで城郭を固める効果があり、城を

回った後で石を一箇所に集めておいて非常時の戦争に備えるためで、これらから先人の

知恵を知ることができる>ということらしい^^;

短い時間で、効率よく回れたのはスタッフさんのおかげだと、本当に感謝・・・頂いたパンフに

この邑城だけの案内図がなく、観たいポイントを私達二人が手探り状態では絶対に時間的に

無理だったと思う。スタッフさんは韓国人、中央アジアの方もいらっしゃり、交代で勤務されて

いるようだ。また観光に訪れる人がいれば、協力してくださると思うけど、私達を案内して

くださったように、毎回歩いていらっしゃるわけではないだろうから本当に感謝m(__)m

詳細地図が高敞の日本語サイトにあったので、今回歩いた場所がわかりやすいのでお借り

してご紹介・・・

(スタッフさん、読んでくださってて、まずいようなら削除しますので仰ってくださいね^^)

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最後に案内所でご挨拶して、帰りは歩いて戻ることにした。

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今回はもっと東門が緑の草で覆われているかと思ったけど、あまり。。。で、夏になると

蔓草も生えて、もっと緑で覆われるということだったので、ちょっと早かったようだ。

帰る途中の案内板にツツジの時期の東門の写真があった。綺麗ねぇ^^

荷物をピックアップして、光州行きのバスになんとか間に合った。

by andegenni | 2012-07-14 18:31 |  2012.6 全羅道一周 | Comments(4)
Commented by のん☆ at 2012-07-22 14:11 x
안녕^^
凄い!!案内図を見る限り、本当に効率よく回ったのね~~^^
スタッフの方に感謝ですね^^;;

しかし、少しの時間でも、有効利用して、見たいところを余すところなく見てくる、
まゆみさんの行動力と、体力には、本当にいつもビックリさせられてます><
その行動力が有るから、こんなに充実した旅報告が出来るんですね^^
おかげで、毎回自分もその場に行ったような気になって、楽しませて頂いてます^^

ジュンギ君も、グンちゃんも、若かりし頃に此処で撮影してたんですね^^
実際、その場に立つと、やっぱり嬉しいですよね~~!!
この後も、何処へ行ったのか、楽しみです!!
Commented by andegenni at 2012-07-22 17:26
こちらでも안녕♪

効率バツグンの回り方でしょ^^観たい所だけのショートカットでした。
1時間も取れず、バスターミナルまで帰ることも考えて、正味40分程度で
観たいと言ったもんで^^;;;

たまたま、インフォメーションに立ち寄ったことで、とっても助けて頂きました。
そうでなければ、入口の案内板で睨めっこして、東西門と客舎の位置は
確認できても、城壁にどこから登るとか降りるとかはわからなかったと思います。
行く人もたくさんいらっしゃるとは思うけど、場所によっては、ちょっとマニアックな
場所にも行ってきたので、よかったらお付き合いください^^
もう一度行く機会はないと思うので、思い出しつつ、チョンチョンニあげますね^^
Commented by daejeon9491 at 2014-03-31 16:56 x
4月6日に出かけます。韓国には珍しい野面積みの石垣に興味を覚えます。文禄慶長の役では影響がなかったのでしょうか?
今回の訪問に貴ブログを大いに参考にさせていただきます。
Commented by andegenni at 2014-03-31 19:43
daejeon9491さん、コメントありがとうございます^^

ここの石垣は野面積みというのですね・・・それも知りませんでした^^;
こことか、順天の楽安邑城とかは、綺麗な形で残っているので、影響に
ついては詳しくはわかりませんが、多分あまりなかったのかと・・・
二つは行きましたが、もうひとつ海美邑城と合わせて三大邑城と呼ばれているようですね。
参考になるかどうか、超個人的な旅日記ですが、お役に立てれば幸いです^^
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