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2012.4 part4 楽安邑城民俗村

満腹で、バスに揺られ、ウトウトしていたら到着していた楽安邑城民俗村。

tちゃんに何時集合?と聞き漏らしたので尋ねてバスを降りた。
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早速、楽安邑城と書かれた장승長栍がお出迎え。村の入口でよく見かける長栍だが、

将軍標장군표とも呼ばれ、村の道祖神だ。将軍장군、大将軍って文字が特に多い。

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河回村でも村の入口にたくさんあったけど、ここにはもっともっとたくさんあった^^;

ソッテ(天と大地を繋ぐ鳥)も一緒に・・・^^

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前後するけど、途中で見つけた楽安女将軍、これ特徴掴んでて気に入った^^

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日本語の説明もあるので、クリックして全画面でどうぞ♪

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北の方に官庁関係の瓦屋根の建物が並び、南の方が住民の住居だ。グルリと城壁。

実は、順天には16世紀末に慶長の役で小西行長が築いた順天倭城も跡が残って

いる。豊臣秀吉の朝鮮出兵で、全羅南道、慶尚南道辺りにはその足跡が多い。

一時は忠清道、京畿道まで進出したが、彼の死によって、朝鮮からは撤退した。

その戦いのひとつ、文禄の役で日本軍を撃退したとされる李舜臣は今でも英雄だし、

その彼も麗水沖の戦いで、島津義弘らに勝利するも、撤退中の日本軍を追撃中に

流れ弾に当たって戦死。考えれば、この楽安邑城もそういう倭寇からの襲撃に備えた

ものであるわけで、隣り合わせた両国の歴史、いろいろあったんだなぁと・・・

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観光案内所も中の住居と同じように作られていた。観光課の女性がここにも勤務していて

一緒に歩いてくださった。

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楽豊楼と書かれた門から入るツアーの一行^^お土産屋さんも同じような家の造りだった。

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ちょっとカッコいい、ソンビ風のハラボジ長栍^^出会いの広場だって^^

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ギョギョッ・・・あ、作り物の牛でした^^;

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林慶業将軍の碑。

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楽安の館。

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北にある山はお金の山とかガイドさんが仰ってて、お金持ちになれる山だそうだ。

登って、宝くじとか買うと当たるかもって。。。

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民俗村ではお馴染みの光景、こんな風に作ってあるので、わかりやすい。カップルの

男の子が、人形とおどけてポーズをとって、女の子が楽しそうに撮っていた^^;

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ガイドさん曰く、日本の人がここで、一番来たがる場所ですって・・・

『チャングム』で、疫病が流行った時にここで治療した場所だって^^

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太鼓のある高楼。楽安亭かな?

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西側の出入口付近(今はここで一旦城壁を中断して道路が出来ている)から登り・・・

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城壁からの景色を撮りつつ・・・次に止まった所は・・・

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村の間にある道みたいに城壁が下って続いている場所。見晴らしがとてもいい^^

ここからは城壁が少し低くなっているのね^^少し先に南門が見える。さぁ、降りてみよう!

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左側の家になんか看板が。。。ガイドさんに訊くと、まさにチャングムの救出された家!

他の一行と別れて、私達二人と、観光課のお二人の4人で、階段脇の更に狭い階段を

降りることに・・・

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焼けた家はもうないけれど、疫病で隔離されたこの場所へ、彼女を助けに来た

ミン・ジョンホ様♥ガイドさんもここで撮影された全ては、どこだかわからないそうだった。

子供時代のチャングム、父親が相撲大会に出たのもここらしいけど・・・

『トンイ』では幼いトンイの前を父と兄が逮捕されて護送されるシーン、それを助ける

チョンス達が、爆破したシーンとかはこの村で撮影されたようだ。『イサン』では、

幼いソンヨンが弟を背負ったりしたシーン、サンと逃げ出した時もここかな?

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ギョギョッ!このお尻見えてる馬も偽物^^;

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チャングムで出てきたのか、ガイドさんが連れて行ってくださった水場。ここ、済州島の

民俗村でやはりチャングムで出てきたと言われた場所と酷似!同じような造りなのか?

疫病の原因が水ではないかと、チャングムが調べに来たところだそうだ^^

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急に立ち止まって、イサンは一番最初にここで撮影してました!って。。。言われなきゃ

何が何だかわからない普通の路地・・・一応、写真撮っておいた^^;

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お土産屋さんで写真を撮ってたら、なんで?という顔のガイドさん。だって、コチュが・・・と

言ったら、ヤ~ダ!と笑ったガイドさん^^;

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観光課の若い女性に別れを告げて、バスの方へ・・・tちゃんがあれ!って指差す看板には

順天市立「根の深い木」博物館の文字が・・・150メートルか・・・行ってみたいと思ったけど

集合時間だったので、諦めた。。。さて、次はどこかな?

by andegenni | 2012-04-25 16:57 |  2012.4 順天鎮海聞慶 | Comments(9)
Commented by ponpa at 2012-04-27 17:06 x
まゆみさん・・・私も最後のプリキップンナムが読めたよ~~!
この先行って欲しかったけど・・・残念でした
博物館と今回のドラマは関係なかったのかしらね
やはり・・テジャングムより、ヒョギのドラマとの方が気になるw

こうして読ませて頂いて、韓国と日本の過去の歴史で
とっても深い歴史があるんだと痛感・・・(思ってましたけど
ここからはお互いに深く理解して仲良く付き合って行きたい・・
と、思うものの・・・先延ばしにした国土問題もあって;

それこそ根が深い木のようで・・・す
Commented by andegenni at 2012-04-27 20:16
ponpaさん、안녕♪

プリキップンナム博物館がどうして順天にあるのか、そこの所も疑問です^^;
元々、朝鮮4代目の王、世宗がハングル文字を作って、훈민정음を発令し、
ハングル文字を使って最初に作った本の中にプリキップンナムの章があるわけで、
その博物館ってなんだ?と思いました。ドラマとは関係ないと思うけど^^;

日韓の歴史に限らず、ヨーロッパ等は陸続きですから、近隣の国とは
争いの歴史も多々あったわけで、そういうずっと昔のことは昔のこととして
認識し、それを現在までひきずることは少ないわけで・・・

根が深い歴史問題も、現在生きている世代でどう対処すればいいかを
考えるべきで、認識はするべきだけど、現代の人々に責任転嫁は世界的に
見ても逆におかしな話だと思われ・・・それは日韓共に常識ある方は
わかっていると思いますけどね^^;日本人が混じっていても、ツアーの方々は
普通に接してくださいましたよ^^むしろ、親切だったかも^^
Commented by つき at 2012-04-28 15:43 x
あ~~風情のある景色ですね~^^
まだ、一部分、ここでは実際の生活が営まれてるとか?
まゆみさんが歩いたであろう場所を私も歩いて見ました。

http://www.youtube.com/watch?v=5kpbzfvz7yy
チャングムは、見てないので(長編に負けた^^;)
またまた、ロケ地は解らないけど・・・。
Commented by つき at 2012-04-29 10:37 x
再び~↑・・リンク切れちゃってる?
楽安邑城民俗村 韓国 全羅南道 順天 - YouTube で
検索して、足跡たどったんだけどね^^
Commented by andegenni at 2012-04-29 13:17
つきちゃん、안녕♪

昨夜は出かけてて、バタバタしてたので、お返事遅くなってミアン^^;
ここは、現存する邑城の中で一番昔の姿が残っていて、今も住民が住んでいる
唯一の場所だそうです。民俗村としても(済州島にも一箇所あるけど)
テーマパークとしてだけではなく、現在も住民が生活している場所です^^

ようつべ、下のお知らせで検索したら一番に出てきました^^
季節が違うけど、同じ風景だわ~^^紹介、ありがとうね~♪
Commented by のん☆ at 2012-05-03 11:29 x
안녕^^
牛に、尻たたきに、妙にリアルな様で、いかにも作り物の様で…^^;;

済州島で行った民俗村を 思い出しました^^
実際生活しているのに、観光地化してしまう所が凄いですよね。
しかし、これまた広い所を歩いたんですね~~><
お疲れ様でした^^
Commented by andegenni at 2012-05-03 19:16
のんちゃん、안녕♪

妙にリアルな様で、いかにも作り物の様で・・・爆)<言い得て妙ですね^^

済州島でも一箇所人が住んでいる民俗村がありますよね^^
ここは邑城としては唯一人が住んでいる場所だそうです。
外観は昔様を保ち、中は近代化してるんでしょうか?そのままでは不便
でしょうからねぇ。。。宿泊施設があれば、それは昔風を保っているでしょうけど^^;

順天のシティバスツアーはどこもどこも、降りてから歩く歩く・・・でした^^;
Commented by のん☆ at 2012-05-03 19:37 x
まゆみさん、その通りです^^
済州島で行った民俗村では、外観は昔のままですが、
室内は冷蔵庫あり、エアコンあり、電子レンジあり、TVあり…と、
私たちと変わらない生活をしてました^^;;

でも、日常生活を覗かれてる様で、私だったらストレス溜まって暮らせません^^;;
Commented by andegenni at 2012-05-03 20:48
のんちゃん、やっぱりそうなのね^^

河回村しかり、ここもそうだけど、電柱がないのは、電線も地面に埋め込み・・
外観を保つ努力は大変だよね^^;中は、現代の人が住んでいるわけだから
そりゃ、文明の利器は使用してるだろうと思ってました^^;

日常生活を覗かれる・・・そうよね・・・ただ、開放してる場所と、してない民家は
違うので、覗かれても庭程度で、中には入れないから、それほどではないのでは?
むしろ、観光客目当てに、工芸品を作る工房があったり、お土産屋さんが
あったり・・・で、それも観光地化したことで、生じた生活の基盤だと思いました。
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